深イイ~話(^^)

これは・・・昨年末に、長男(REN)が帰省した際・・・いろんな話をした内容の一部やねんけど・・・

ちょっと「深イイ~」って感じたことやったから、記しておこうと思う

 

RENは・・・現在、20歳

大学で、今も「柔道」を続けてるんやけど・・・

彼が育ってきた過程で・・・彼が感じたこと・・・彼が学んだこと・・・彼が経験したこと・・・

それらを含め、親元を離れて5年が過ぎた今・・・彼自身が切実に感じてることを、親そして、教育者である俺に伝えてくれた

 

 

彼曰く・・・

『いきなり、車に乗らせたらアカンやろっ!?』

 

何を云わんとしてんのか?

 

これは・・・あくまで「比喩法」やねんけど・・・

 

 

子供の成長に伴って・・・ごく一般的な、年相応の過程を考えてみたら・・・・・

子供が、歩けるようになったら・・・両足で、ガーガー進むプラスチック製の車とか、三輪車に乗り始める

それが、進化したら・・・補助輪付きのインチの小さな自転車に乗り始める

やがて・・・補助輪の片方が取れて、さらには、もう片方も取れて・・・補助輪なしで、自転車に乗れるようになる

この辺までは・・・多少の時間差はあっても、大半の子が、同じライン上で、同じような「経験」をするよな?

 

 

自転車は、体の大きさに比例して、インチも大きなものに進化してくる

さらに、インチが大きな自転車に乗り始める頃には・・・行動範囲が、劇的に広くなる

この辺りになったら・・・「経験」する者(親に、させてもらえる者)と、「経験」しない者(親に、させてもらわれへん者)の分岐点になってくる

 

 

行動範囲が広くなるっていうても・・・それには、限界があるんやけど・・・

やがて、月日は流れて・・・

いろんな興味が湧き始める時期・・・そう、16歳になったら、原付の免許を取得して、原チャリに乗るようになる

今まで、行動範囲に限界を感じてたからこそ・・・原チャリ乗った時には、「日本一周でもできるんとちゃうか!?」って思うほど・・・原チャリを、素晴らしい乗り物に感じることができる

ここに来ると・・・完全に、白か黒に分かれてしまうな?(^_^;)

 

 

さらに、上を求めて・・・

アルバイトをして、お金を貯めて、中型二輪の免許を取得し、250ccや400ccのバイクにまたがった時には・・・

原チャリにはない・・・スピード感・・・アグレッシブ感・・・そんなもんに、脳ミソに突き上げられて、「興奮」と「感動」に包まれる

これは・・・子供の「冒険心」を、無条件で尊重してやるんか?・・・それとも、少なからず存在する、リスクファクターを重要視して、NGにするんか?で、違ってくる部分ではあるわな?

 

 

ほんで、18歳・・・車の免許を取得する

車に乗るようになったら・・・「チャリンコ、原チャリ、中型バイクに酔いしれとった俺は、一体何やったんやろう?」って感じるくらい、別次元の「興奮」と「感動」がある

ナビシートに、彼女を乗せることもできるし(もちろん、中型バイクでも、タンデムシートに彼女を座らせることはできるんやけど・・・せやけど、ヘルメット被って、話なんかできたもんやないやん?(汗))・・・荷物かって、結構載せることができる・・・当然、エアコンがあるねんから、暑くも寒くもない

蚊に刺されることなく、車の中で、夜景を眺めながら、彼女とゆっくり話すことかってできる(^^)

 

ここまで来たら・・・子供自身も、心身共に大人になって、その上「我」が出てくるもんやから・・・親の意見に、100%耳を傾けるなんてことは、ほぼあれへんやろうな?

せやから・・・

途方もないくらい遠い場所まで、ぶっ飛んでもうて・・・親の元には、戻ってけえへん者

親のそばにはおるものの・・・今までお利口さんに座ってた親の車のナビシートには、絶対に座れへんようになる者

ある年代に、忘れ物をしてきたかのように・・・原チャリ、中型二輪、さらには大型二輪だけに熱中してもうて、今までの生活から一変してしまう者

 

いずれにしても・・・今まで繋がれとった「鎖」から解き放たれてしまうが故・・・

親の思い描いとったレール・・・また、己自身が思い込んでたんか?思い込まされとったんか?

いずれにしても、限りなく少ない選択肢の中で、外部から思い描かされとったレールからは逸脱してもうて・・・

「今、自分自身は何をするべきなのか?」さえも、見失ってしまう者も少なくない

 

 

そないなってもうては、もちろん困るし・・・そのリスクファクターは、いつ何時も彼らのそばに転がってるっていうことを、常に念頭に置いて教育をしてきた俺に対して(それらを、すべて経験してきた(させてきた)からこそ)・・・・・

「俺は、親父に・・・その時その時に応じて、ちゃんといろんな「経験」させてもらったから良かったけど・・・・・いきなり、「車に乗りなさい!」って言われても・・・チャリンコの大変さも分かれへんやろうし・・・原チャリの素晴らしさも分かれへんやろうから、困ると思うんやけどな?」って・・・彼は、言うとった

 

要するに・・・

「年相応の「経験」「感性」「冒険心」「好奇心」etcは・・・それらを、その時その時で、感じた者と感じてへん者とでは、大分ちゃうねんで!?」っていうことを、云わんとしてたんやね

 

 

チャリンコのインチが上がって、行動範囲が広くなったら・・・自ずとタイヤのすり減りは早くなって、パンクをするリスクが格段に上がる

パンクをしたら、チャリンコ屋に駆け込んで、直してもらうんか?買い換えた方が安いんか?を、己自身の目や感性で学び判断する

遠くに行った時に、チャリンコのカギを失くしたら、チャリンコ自体を持ち上げて歩いて帰ってこなアカンこともあるし・・・

室内で遊んでて、いざ帰ろうと外に出た時、大雪が積もってたら、チャリンコを突いて歩いて帰ってこなアカンこともある

チェーンが外れたら、手を油だらけにしながら直さなアカンし・・・

停めてる間に、サドルをパクられたら、「クソッ!ボケッ!」って思いながら、ずっと立ちこぎで帰ってこなアカン(-_-;)

(中には、途中で、周りに気を配りながら、ちょっとドキドキしながら、その辺のチャリンコのサドルをパクり返す奴もおるかも知れへんけどな(それは、絶対にアカンことやで・・・(^_^;)))

 

 

原チャリに乗ったら・・・「日本一周でもできるんとちゃうか!?」って、テンションがメッチャ上がる半面・・・

走ったら走っただけ、ガソリン代は掛かるし・・・保険代かって掛かってくる

頭のセットが乱れるからっちゅう理由で、ドカヘルを首の後ろになびかせて走っとったら、お巡りさんに捕まるし・・・

二人乗りは当然のこと・・・仲間のチャリンコのケツ押しをしてても、お巡りさんに捕まって・・・・・減点&罰金や(^_^;)

もちろん、事故を起こしてしまうリスクとは、ずっと背中合わせでおらなアカンしな

それが・・・中型バイクになったら、なおさらやわな

 

そんなこんなを、ぎょうさん「経験」するからこそ・・・「感性」が養われて・・・世渡りや、ずる賢さも身に着ける

当然、事の良し悪しも・・・許してもらえる許容範囲の中におる間に、覚えることができるんやないんかな?って、俺は思ってる

 

 

せやけど、最近は・・・

車の免許を取得したら、原付免許が付いてくるんやから、原チャリは、それからでも乗れる

まして、自転車なんか・・・乗ろうと思えば、いつでも乗れる

中型バイクなんか、危ないから絶対に乗ったらアカン

そんな・・・いつでもできることや、リスクのあることなんか、する必要はあれへん!

どこに行くにも、(親が運転する)車で、ちゃんと送り迎えをするから・・・無駄な時間やリスクファクターは、限りなく除外して、効率良くいこう!

それで・・・時が来たら(18歳になったら)、車に乗ればええねんから・・・

 

・・・・・そういう風に、見えてならんのよなぁ~?

 

 

確かに・・・チャリンコでいく無駄な時間はもったいないから、親の車で行った方が効率はええよ

確かに・・・車の免許を取ったら、原付免許も付いてくるから、大人になってからでも、原チャリは乗れるよ

確かに・・・中型バイクは、限りなくリスクの高い乗り物やし、絶対に必要か?って聞かれたら、そうでない事も確かやで

 

せやけど・・・

それを、子供たちに「経験」させてやること(それが幹やとしたら)で・・・そこから、ものごっついたくさんの枝(そこから感じる感性や冒険心、リスク回避能力や責任etc)が、四方八方にどんどん伸びていくんとちゃうんかな?

そこで養われる「感性」こそが・・・『自己責任』を芽生えさせるんとちゃうんかな?って・・・

俺は・・・切実に、そない感じてるんよなぁ~

 

俺自身は、過去(中学時代、高校時代、学生時代etc)を振り返ってみたら・・・

その場その場で・・・必ずって言うていいほど、それがあったから・・・

 

 

どうも、親って・・・

メッチャ「『親』になろう!」と思い過ぎてしまうんか?

情報が飛び交いするが故に、頭でっかちになってしまうんか?

「黙ってても、チャリンコの外れたチェーンくらい直せるやろう?」・・・そない、高を括ってるんか?

「チェーンが外れたら、わざわざ手を汚さんでも、自転車屋さんに持っていけばいいねん!」・・・そない、割り切ってるんか?

 

人それぞれで・・・いろんな考えは、あるんやろうけど・・・・・

自分ができることは・・・当然、子供もできるやろう的な?・・・

自分が思ってることは・・・当然、子供も思ってるやろう的な?・・・

合理的っちゅうんか?・・・情報社会っちゅうんか?・・・

上手く言われへんけど・・・目と耳からの情報のみを与えすぎてもうて・・・本来、「身を以て「経験」させる!」っていう、一番大切なことが、欠落してもうてるような気がするねんよな?

 

俺らの年代って・・・限りなく全員に近いくらい・・・年相応の「経験」をさせてもらいながら、その時代時代を駆け抜けてきた年代やから・・・そない思うんかも知れへんけど(^_^;)

 

 

せやけど・・・せやからこそ・・・

チャリンコの外れたチェーンも直せるし・・・チャリンコのハンドルを「鬼ハン」にする方法も、当たり前に知ってるんやと思うねん(^_^;)

原チャリの素晴らしさも・・・中型バイクの爽快感との引き換えにあるリスクも・・・

それら、すべてを経験してきてるからこそ・・・物事を十二分に理解してたり、簡単な修理くらいやったらできるんであって・・・

 

今の時代・・・黙ってて、それができる子なんか、おるはずがないと思うんやけどね?(^_^;)

今の子は・・・ドライバーで、ここを緩めたら、これが外れるっていう・・・そんな単純な、理屈さえも分かってへん子が、ものごっつい多い気がする

 

 

そのくせ、親や先生は・・・

「物を大事にしなさい!」

「無駄遣いをしてはいけません!」

「暴力はいけません!」

・・・・・そない言いよる

 

何が大切で、何が大切でないんか?

何が無駄で、何が無駄でないんか?

殴る痛み、殴られる痛み(共に心の)ってどんなもんなんか?

いずれにしても・・・すべての物事に対する「経験」が、限りなく少なくて・・・

まして、その「感性」が養われるシチュエーションを、まったくって言うていいほど与えてへんのに・・・

子供らが、そんなもん、分かるはずがないやん!?

 

 

例えば・・・

「無駄遣いをしてはいけません!」

・・・・・を、ピックアップしてみよう

 

A君とB君が、共に100円玉を握りしめて、駄菓子屋に来てるとしよう

 

※余談やけど・・・

俺らが、ガキんちょの頃は・・・100円玉っちゅうたら、メチャメチャ大金に見えたもんやでな?

子供の立場になってみたら(これ、非常に大事!  これは、如何なる場合でも、メッチャ大事なこと!やと俺は思ってる)・・・

普段、50円玉しかもらってへん俺らが、100円玉を握りしめるっちゅうことは(大人からしたら、50円が100円になるっていうだけのことやから、大したことではあれへんやろうけど)・・・

子供にとったら・・・単純に、普段の「倍の金額」を手にするわけやで!?

そらぁ、金持ちになった気がしたし・・・如何に有意義に使おうか?っちゅうことで、ワクワクしたもんやよね?(^^)

 

A君は・・・当たるかも知れへん誘惑に誘われて、100円のくじ引きをした結果・・・はずれを引いて、その辺に転がってるような、しょうもない車の消しゴムを手にした

となりを見たら・・・

B君は・・・50円のジュース片手に、50円のお菓子をかじってる

 

この時・・・A君は、切実に感じることやと思うよ

「俺は、なんで、こんなしょうもない消しゴムに、100円を費やしてもうたんやろう?」って・・・

そこで、初めて・・・「無駄遣い」の意味を、身を以て学ぶんとちゃうんかな?

 

せやから・・・成長過程の子供たちにとって・・・

決して、「無駄」なことなんて、何ひとつあれへんねん!

 

 

当然やけど・・・大人は分かっとんねん!?

何が無駄で、何が無駄じゃないんか?を・・・

それは・・・その時代その時代で、年相応の「経験」をしてきてるからやねんよな?

 

多少の年齢の前後はあったにせよ・・・曲がりなりにも、今までの「人生」を渡り歩いてきてる以上、少なからず「経験」値は持ってるはずやから・・・

(おまけに、「100円を稼ぐためには、どんだけの動力と時間を費やさなアカンのか?」も・・・大人は皆、知ってるから)

 

せやけど・・・この歳になったら・・・

いや・・・この歳(親)になったからこそ・・・分かれへんようになってくることが、ぎょうさんぎょうさん出てきよるような気がするんよなぁ~?

 

せやから・・・

「無駄遣いをしてはいけません!」

・・・・・って・・・子供たち自らに、「経験」をさせることなく、「感性」を養う場を与えることなく・・・「無駄なもん」と「無駄じゃないもん」の区別を、机上で伝えてしまう

 

 

俺自身も、親になってこそ見失ってもうてた時期があったから・・・反省を踏まえながら、記してるんやけど・・・

悠葉先生やREN兄ぃが、ちっちゃい頃は・・・柔道はじめ、いろんな部分で、彼らに対して「机上の空論」を振りかざしまくってたよ(^_^;)

 

せやけど・・・ある時(ある事案に、ぶち当たって)、それは「アカンこと」なんやと、俺は気付いたんよ(判断をした)

それからは・・・今のような、「ええ加減」スタイルを、徹底して貫いてるんやけど・・・

 

それが・・・良かったんか?悪かったんか?を、自問自答した時もあったけど・・・

REN自身(若干20歳の青年)が、それを理解してくれて、「今、自分自身は、何をするべきなんか?」を重々承知してくれてるってことは・・・現段階では、彼らに伝え続けた、俺の「ええ加減な教育論」は間違ってへんかったんかな?って、そう感じさせてもらえてるよ(^^)

 

 

年相応に経験すべきことっていうことを・・・

分かりやすく、三輪車~チャリンコ~原チャリ~中型バイク~車って、「比喩法」で記させてもらったけど・・・

また・・・手っ取り早く、「無駄遣い」ちゅう部分も、俺なりの考えを記させてもらったけど・・・

「子育て」「教育」は・・・なんでも同じやと思う!

 

親御さんが舗装してくれた、細い一本道しか歩いてこんかった子と・・・

ただっ広い草原を、リスクを抱えながらジグザグしながら歩いてきた子とでは・・・

「経験値」が、圧倒的に違うって感じてるのは・・・多分、俺だけじゃないやろ???

 

学業や知識は、大人になってからでも取り返すことはできるかも知れへんけど・・・

その年、その時期、その時、その瞬間にしか養うことができへん「感性」は・・・俺らみたいなオッサンになったら、取り返されへんのとちゃうんかな?って俺は思うんやけど・・・

 

ほんで、また・・・「友達」っちゅうのも然り・・・

子供の頃の「損得勘定」抜きに付き合う「友達」関係からって・・・俺は、メチャメチャ学ぶことが多い気がすんねん

「損得勘定」がないってことは、裏表があれへんし・・・

裏表がないってことは・・・ある意味、付き合い方は、メチャメチャ難しいもんのような気がするねん

 

それに・・・子供ほど、「酷」な生き物はおれへんからね!?

「表面上だけで付き合う」っていう、大人みたいに器用なもんを・・・彼らは、一切ぶら下げてへんから・・・

せやからこそ・・・

学ぶべき時に、きちんと学んどけへんかったら・・・ホンマの「友達」には、巡り合えへんのんとちゃうんかな?

 

せやけど・・・その反面・・・

それを、はき違えへんかったら・・・その『絆』っちゅうもんは、簡単に千切れたりせえへんくらい強固なもんになりよるのも事実なんやで(^^)

 

 

 

そないして考えたら・・・

成長過程の彼らにとったら・・・「目に見えるもん」なんか、ホンマに大したことではあれへんねんな!?

「メダル」「成績」「点数」「通知表」「結果」etc・・・

 

その反面、目には見えへんもん

そう・・・『心』であったり、『絆』であったり、『感性』であったり、『思いやり』であったり、『冒険心・好奇心』であったり・・・

それらこそが・・・今、学ぶべき『最重要課題』なんとちゃうんかな?

俺は・・・そない、考えてるんやけど・・・

 

 

『三つ子の魂百まで』

 

その「三つ子の魂」を抱えた(俺らが育てた)我が子が・・・いずれ、まったく違う道を歩んできた人と結婚して・・・その人と共に、「子育て」をする時がやってくる(家族になる)

その「子育て」をされた子(要するに「孫」)が、十二分に社会で通用する人間に育った時にこそ・・・

俺らの「子育て」に、最終的な「〇」「☓」の評価が下る時なんやないんかな?って、俺は思ってる

 

 

「子供のため!」・・・そないな言葉をよう耳にするけど・・・

子供の進学や就職、資格取得・・・もっともっと上を目指せば、オリンピックの金メダリストなど・・・

せやけど・・・そんなもんは、決してゴールじゃないねん!

ホンマ、単なる通過点に過ぎへんねん!

 

「子供のため!」っていうて・・・

お父さんが、大義名分を振りかざして、良かれと思ってやってることでも・・・

女房や子供に、不満があるんやったら・・・それは、お父さんの「独りよがり」や

 

お母さんが、子供に必死になり過ぎて、お父さんが後回しになってもうて・・・

お父さんに不満があるんやったら・・・それは、お母さんの「自己満足」や

 

子供を自由に泳がせ過ぎて、願い(望み)通りになれへんことで、両親がストレスを感じてるんやったら・・・

それも、やがて「歪」が生じてくるやろうから・・・よろしくないな

 

『家族一丸』で、進学校を目指す!

『家族一丸』で、日本一を目指す!

『家族一丸』で・・・『家族一丸』で・・・・・

 

家族全員が想う『幸せ』っちゅうもんに・・・定義はあれへんのやろうけど・・・

俺の考える、家族の『幸せ』は・・・

何の干渉もなく・・・何の決まりもなく・・・だからこそ、何の不満も、何のストレスもない

そんな中で・・・

家族全員が・・・それぞれの『与えられた(自らが選んだ)環境の中で、『自ら』最大限の努力をする!』っちゅうこと!

 

子供達が、そないなってくれることで・・・

親である俺ら(俺と明美)は・・・子供に対しての、「不安」や「心配」に苛まれることは一切あれへんし・・・

当然、それが・・・個々の『自己責任』であって・・・

それさえできとったら・・・十分すぎるくらいの『家族一丸』やと、俺は思ってるよ

 

 

長々と記したけど・・・

要するに・・・

「生」と「死」が・・・常に、背中合わせにあるように・・・

 

「社会で上手く生きていけるか?」

(大金持ちになることや、社会的地位を確立することではなく・・・普通に「人」として、人間社会で生きていけるんか?)

それとも・・・

「社会で上手く生きていかれへんのか?」

(犯罪者、アウトローはじめ、引きこもり、また世の中(仕事、家族、社会)に対する不平不満を吐き出しながら、物事からケツをまくる、ネガティブな人間になるんか?)

・・・・・っちゅうことも・・・常に、背中合わせにあるんやと、俺は考えてる

 

 

「ウチの子は大丈夫(ちゃんと生きていく)やろう?」

親御さんは・・・みんんがみんな、そない思って「子育て」をしてるんやろうけど・・・

その「大丈夫やろう?」が、まかり通るんやったら・・・後者は、この世には存在せえへんよ!

 

少なからず、後者が存在するっちゅうことは・・・

(誤解を恐れずに言わしてもうたら)家庭教育のどこかで、ボタンの掛け違いをしてしまってるんやろう?

(もちろん、全部が全部ではあれへんから・・・その辺は、誤解をせんよう、ご理解をいただきたいけど・・・)

 

 

以前にも記したかな?

 

孫の代まで、そのような心配事なく過ごせてこそ・・・

俺らは、安心して死んでいけるんとちゃうんかな?

 

 

 

RENの吐き出した言葉を・・・

「深イイ~~」って思うんか?

「そんなもん・・・」って思うんか?

もちろん、人それぞれなんやろうけど・・・

 

俺は・・・若干20歳の青年から・・・

今一度、「親」として、「教育者」として・・・己自身を見つめなおす「材料」を、もらったのは事実やったよ(^^)

 

元気出していこう!

READY! GO!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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