2018年 12月

3月に開催された・・・「全日本会育系大学柔道体重別選手権大会」

俺は・・・当然、優勝するつもりで、講道館の畳の上に立った

 

体調は、非常に良好で・・・

順調に勝ち上がっていった俺は・・・最大の難関、天理大学の〇〇選手とベスト4を掛けて戦うことになった

〇〇選手は、2歳年下やったけど・・・高校の時にインターハイ上位入賞、後に「全日本選抜柔道体重別選手権」にも、コマを進めていくような非常に素晴らしい強豪選手

 

ものごっつい、きわどい試合内容やったけど・・・

俺は・・・試合中盤、巴投げで「有効」を奪って逃げ切り、準決勝にコマを進めた

 

余談やけど・・・

俺は、その頃・・・髪の毛がメッチャ長くて、パーマをかけて、思いっきりツーブロックにしとったねんけど・・・

寝技の攻防になる度に、髪の毛がパサッって上がるもんやから・・・何べんも何べんも、再度の刈り上げた部分が露になる(^_^;)

試合後・・・観客席で観てた(応援に来てた)お母ちゃんが言うてたことやけど・・・

「なんだ!? あいつの頭! 柔道する者の髪型じゃないだろう!?」って・・・随分、他大学の生徒達から、批判をいただいたとか?いただかへんとか?(笑)

 

 

準決勝の前に・・・俺は、柏崎先生に呼ばれた

「お前は、今日ここ(試合会場)に、何をしに来たのか分かってるかぁ? 優勝しに来たんだどぉ~! ちゃんと、優勝して帰らなとダメだどぉ~!?」って・・・東北訛りの言葉で、仰ってくださった

 

 

準決勝の相手選手も・・・非常に、素晴らしい強豪選手

彼も・・・後に、全日本選抜体重別選手権で、準優勝されてると思う

 

ちなみに、またまた余談やけど・・・この方は、現在、岩手県の某強豪高校の柔道部の監督をされてるねんけど・・・

先般、仙台大学に合宿?で来られた際・・・晩に、南條先生と懇親会されとったみたいなんやけど・・・

南條先生経由で、「今、〇〇先生と、(体育系大学選手権の時の)北岡先生の話をしてたんです! 早く、ここまで来てください! 待ってますから!」

・・・なんていう・・・恐ろしいメールが届いとったよ・・・(^_^;)

 

 

 

せやけど、俺は・・・相手が誰であろうと、負けるなんてことは、これっぽっちも考えてへんかった

ただ・・・準々決勝で、強豪選手を破ったことで、気を良くしたっていうんか?・・・難関を突破したっていう安心感やったんか?

いずれにしても・・・「今日、俺いけるわ」っていう気の緩み、ほんで、ナメてしまう部分があったんかも知れへんな?

 

試合序盤・・・巴投げから十字関節がきっちりと決まって、相手選手の肘から、「バキバキッ」って音がした

骨損傷もしくは、少なくとも靱帯損傷は免れへんほどの、大きなダメージを与えたことは明らかやった

普通やったら、ここで棄権をしてもおかしくないやろう怪我やったんやけど・・・相手選手もここまで上がってきてるもんやから、必死やったんやろな?・・・そのまま、試合を続行した

 

「余裕やんけっ!? もしかしたら、俺ってメチャメチャ強いんとちゃうか!? これやったら、決勝戦もイケるな? 絶対、優勝できるわ!」

俺は・・・試合中にも拘わらず、そんな良からぬことを考えてしもうた

 

 

そこに、落とし穴があったんやな?

そないして、気が緩んだまま・・・寝技に引き込んだ瞬間

一瞬の隙を突かれて・・・俺は、そのまま抑え込まれてしもうた

 

己自身の不甲斐なさを、悔やんでも悔やみきられへん・・・情けないくらい、恥ずべき「一本負け」を喫した俺

一瞬の油断が・・・一瞬の気の緩みが・・・そんなもんに、足元をすくわれるっちゅうことを、ホンマに身を以て勉強させられた試合やった

 

 

試合後・・・柏崎先生のとこに行ったねんけど・・・

手のひらを返したように、冷たくあしらわれたよ(-_-;)

 

 

優勝するつもりで挑んだ「全日本体育系大学柔道体重別選手権」は、3位っていう結果に終わってもうて・・・

俺の大学柔道・・・残すは、5月の「全日本学生体重別選手権大会 関東予選」のみになってしもうた

 

準決勝にコマを進めた俺は・・・

「どんなことをしてでも、あとひとつ勝って、レギュラーになってやる!」

その想いしかなかった

 

「殺すつもりで戦ってやる!」っていう気持ちは・・・準々決勝の、そんな試合の後でも消えることはなくて・・・

それどころか・・・益々、勢いに拍車がかかっとった

 

 

俺自身の中では・・・ここまで上がってくることは、「それだけの強い想い」で練習に取り組んできてたから、当然やと思っとったけど・・・「第二道場」で練習してる者が、準決勝まで上がってくることなんか、普通ではありえへん

せやから・・・周りの連中(同級生のレギュラー陣)からしたら・・・非常に、おもしろくない一コマやったに違いあれへん

 

そらぁ、そうや!?

練習自体を、一生懸命取り組まへんことが原因で・・・監督から「第二道場」に落とされてるんやから・・・

「第一道場」の人間が・・・その一生懸命、練習に取り組まへん奴に負けるなんてことは、ホンマに不本意なことやったやろう?

 

せやけど、俺には・・・「今に見とけよ!」って思いながら、練習に取り組んできた過程がある

せやから・・・「俺は、誰にも負けるはずがない!」っていう、自信しかなかった

 

 

 

そんな雰囲気の中・・・準決勝が始まった

準決勝の相手は・・・同級生、カナダ国際で準優勝やったか?・・・それなりの実績のある選手やった

(ちなみに・・・大学に在籍しとった4年間、同級生でレギュラーになった者の中で、国際大会にエントリーしてもらわれへんかったのは・・・俺だけ(^_^;)

1~2年生の頃・・・練習を一生懸命取り組めへんかったことが要因やと思うけど・・・  トリトレ国際、カナダ国際、西ドイツ国際などなど・・・数々の国際大会があったにも拘らず、俺はいっぺんも参加させていただかず終いやった)

 

 

開始早々・・・俺は、喧嘩四つの相手に対して、「飛び十字関節」を仕掛けた

「飛び十字関節」は、不発に終わってしまったようやった

ようやった???

 

そう・・・俺は、「飛び十字関節」を仕掛けた時に、その代償として、畳に頭を思いっきり打ち付けてしもうたねん

『ゴンッ!』

一瞬、目の前が真っ暗になったのは覚えてる

せやけど・・・その後のことは、まったく記憶から飛んでしまってる

もちろん・・・今も、思い出すことはできへんし、その試合をどないして戦ったんか?は、まったく記憶にない

 

 

 

どんくらいの時間が経ったんやろうか?

後輩が・・・「耕太郎先輩! 耕太郎先輩!」って、頻りに叫んどった

俺が・・・それに気付いた時、我に返った時・・・決勝戦が始まる寸前やった

(あとで、後輩が言うてたことやけど・・・俺の試合(準決勝)が終わってから、ずっと俺に声をかけ続けてくれてたらしいねんけど・・・これといった反応があれへんかったみたいで、その時に初めて我に返ったみたいやねんな?)

 

準決勝・・・

開始早々に頭を打った俺は・・・途中、「袖釣り込み腰」で「有効」を奪って、5分間をフルに戦って勝ったとのことやった

それ自体、その後輩から教えられたことなんやけど・・・俺自身は、まったく記憶にない

 

学内予選っていうても・・・決勝戦だけを残すようにして、準決勝までの試合は各階級ともすべて行う

30分なのか?1時間なのか?・・・座っとったんか?横になっとったんか?・・・

何ひとつ、記憶にはあれへんけど・・・60kg級の決勝戦の途中まで、俺は気を失ってた(意識はあったらしいけど)ことになる

 

「耕太郎先輩! 次、試合です!」

「試合!? なんの試合やねん!?」

「決勝です!」

「だから・・・なんの決勝や!?」

「-65kg級、先輩の決勝です!」

「お前の言うてることは、よう分からんけど・・・棄権するっていうてこい! こんなに頭痛いのに、試合なんかできるわけないやろ!?」

 

そこで初めて、正気に戻った俺やけど・・・

今まで、どこにおったんか?何をしとったんか?さえも、まったく分かれへんかったし・・・おまけに、ものごつい頭も痛かったから・・・正直、試合をするような状態ではあれへんかった

 

 

せやけど・・・

結果的に、決勝戦まで上がったことで・・・「全日本体育系大学体重別選手権」出場の切符・・・そう、レギュラーのポジションを手にすることができた

それと同時に・・・柏崎先生から、「「第一道場」に上がって、練習しろ!」のお言葉をいただいた

 

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小・中学生の頃で見比べられたら・・・

俺なんか・・・他の連中(同級生、後輩含めて)に比べて、箸にも棒にもかかれへんような、ショボくれた柔道しかしてけえへんかったと思う

もちろん、高校時代の実績を見比べられても・・・

インターハイ出場、地方大会入賞とか・・・中には、インターハイで上位に入賞してる者かっておるくらいやから・・・

その時点では・・・到底、太刀打ちできへんかったに違いあれへんわ

 

せやけど・・・

小・中学生の頃の実力差とか体格差が・・・高校時代の実績が・・・

その先も、エンドレスで埋まることないんか?っていうたら・・・それは、まったく以て違う

 

不平不満を云わんと・・・

与えられた環境の中で最大限の「辛抱」と「努力」ができたなら・・・その差は、多少なりとも埋まってきよる

 

『必然』2(千葉県学生体重別選手権)

おまけに・・・ここでも、記したけど・・・

本心は、本人にしか分かれへんことやけど・・・もし、仮に同級生や後輩の中に、欲求を抑えてまで走らされてきた者がおったとしたら・・・

子供の頃に過ごした環境・・・子供の頃に感じた感情などを含めて・・・

それらすべてが、点と点が線で繋ぐことができる大人(大学生)になった時に・・・

子供の頃(高校生含む)のまま、「自らエンジンを掛けて、アクセル全開で走り続ける」なんていうことは・・・非常に難しいことなんじゃないんかな?って、俺は思う

 

人間は・・・物事が、上手く転がってる時には、多少の辛いこと(困難)にも耐えれる生き物やけど・・・

物事が、上手く転がれへんようになった時には・・・そうはいかへんこともある

 

正に・・・子供の頃から勝ち続けてきた者が負け始めた時・・・それが、そうなんとちゃうんやろか?

 

せやけど・・・その『必然』を、どない受け止めて、次につなげることができるんか?っちゅうことを、学んでへんかったら・・・

そのまま坂道を転がり落ちていく状況に陥ることも、決して少なくはあれへん(俺は、高校・大学時代・・・転がっていく奴を、何人も見てきたから)

 

 

 

せやから・・・俺が言いたいのは・・・

「「結果」ちゅうもんは・・・「結果」であって、単なる「結果」にしか過ぎへん!」っちゅうこと!

それが・・・子供の頃であったら、なおさらや!

もちろん、それが・・・

オリンピックや世界の頂点を決める瞬間やったり・・・人生を掛けた場面であったりしたら・・・そんな悠長なことは言うてられへんのやろうけどね

 

 

大切なことは、己自身で「エンジンを掛けたんか?」っていうこと!

誰かに、追い掛けられて、「走らなければならない」状況やったから、仕方なく走ったんではなくて・・・

己自身で、「エンジンを掛けて、アクセル全開で必死になって走り続けたんか?」っていうこと!

そないしたら・・・たとえ、その「目標」に到達せえへんかったとしても、きっと「そのこと自体」が、己自身のそれから先の人生の「糧」になるはずやから

 

少なくとも・・・俺は、そうや!

己自身で、一念発起して・・・エンジンを掛けて、走り続けて・・・

結局・・・最終的には、「目標」に到達することはできへんかったけど・・・

せやけど・・・

大学3年生の、あの時期があったからこそ・・・俺は、「己自身で「エンジンを掛ける」ことさえしたら、何事であっても、クリアすることができるはずや!」っていう自信につながってる

上手く転がれへん状況に陥っても、それが『必然』やって、真摯に受け止めることができたら・・・必ず、次の素晴らしい『必然』が訪れるはずや!って、そない思ってる

 

せやから、俺は・・・

一生懸命、戦ってきた彼ら(子供たち)を、思いっきり抱きしめてやるねん

一生懸命、頑張ってきたことと・・・その瞬間、彼らの身に降りかかってる『必然』を・・・

次に訪れる、素晴らしい『必然』へと繋げてもらえるように・・・

彼らを「否定」することだけは・・・絶対にせえへんようにしてるねん

 

 

「諦めたら、そこで終わる!」

「歩みを止めたら、後退しかない!」

「「その時」がきたら、見過ごすことなく、すべてを捨ててでも頑張れる人になってくれ!」

 

 

 

我が子はもちろんのこと・・・道場生たちも・・・

「酸い」も「甘い」もを、知った(経験した)上で・・・

「酸い」を選択できる人に育ってほしいなぁ~って願ってる

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

それから、俺は・・・「第一道場」で、必死になって練習をした

練習して・・・体重調整して・・・試合のことを考えて・・・将来のビジョンを考えて・・・

そないすることで・・・毎日毎日は、充実しとった

 

せやけど・・・それでいても、誰かに心を開くことはせえへんかった

圭吾兄ぃが亡くなってから、1年の月日が流れとったけど・・・

大切な大切な兄貴分であり・・・

大半の時間をいっしょに過ごしていただいた友人でもあり・・・

ほんで、俺の18年間の人生観を、180度変えてくれた、尊敬できる先輩であり・・・

そんな人を亡くしてしもうたことで・・・

練習をしても・・・バイクにまたがっても・・・女の子と遊んでも・・・

何をしてでも・・・ぽっかり穴が開いてしまった俺の心を支配するのは・・・『孤独』のほか、何者でもなかった

 

俺自身・・・「また、大切な人を失ってしまうんではないか?」っていう恐怖感から、誰にも心を開こうとせえへかったんかな?って、今振り返ったら、そない思うけど・・・

そんな俺の心を・・・『孤独』が支配し続けるのは、当然やった

 

 

柔道に関して言えば・・・ちょっと、追い風が吹き始めた感じやったけど・・・

私生活に関しては・・・依然、心にぽっかりと穴が開いたままの状態やった

 

平成4年、2月・・・

「全日本体育系大学柔道体重別選手権大会」の学内予選が開催された

 

俺の階級(-65kg級)は・・・1年生から4年生まで、約40名ほどが出場するねんけど・・・

トーナメント表の中・・・俺の名前は・・・???

 

当たり前やけど・・・4強のシード枠には入ってへんし、ベスト8に分けてもらえる枠にさえ入ってへんかった

それどころか・・・俺一人だけ、一番ちっちゃい山(他の連中(上級生、下級生含めて)は、2回戦からやのに・・・俺だけが、1回戦の一番ちっちゃい山からの試合)に、入れられとった

 

 

学内予選を開催するにあたって・・・柏崎先生から、みんなに伝えられてたことがあった

それは・・・

「各階級、決勝戦まで残った者は、無条件でレギュラーにする  しかし、それ以外の者(準決勝で敗退した者(要するに、ベスト4の者も含めて)は、普段の練習の取り組み方などを考慮して、レギュラーを選考する」っていうことやった

 

そないなると・・・第二道場におる俺は、必然的に「決勝戦まで上がれへん以上、選手になることは間違いなく不可能!」っちゅうことになる

せやから・・・学内予選の日時が決まって、その内容を聞いてからは、より一層、真剣に練習に取り組んだ

 

 

もう、25年前の話やから記せるけど・・・

俺は・・・「誰が相手でも・・・殺すつもりでやってやる!」・・・そない考えとった

(※非常に、聞き苦しい言葉を綴っておることは重々承知してるけど・・・あの頃に感じてたことを正直に表現してるという部分を、どうかご理解いただいき、どうかご勘弁いただきたい)

ほんで・・・「何としてでも、レギュラーになったるねん!」

そない考えて、日々の練習に取り組んどった

 

 

 

ほんで、迎えた・・・学内予選当日

1~3回戦を勝ち上がった俺は、ベスト4を掛けて、同級生のレギュラー候補の選手と試合をすることになった

俺自身が順当に勝ち上がれば、その選手と当たるんやろな?っちゅうことは予想しとったけど・・・予想通りやった

前述したけど・・・その日、俺は「相手を殺すつもりでやってやる!」・・・そない、腹に決めとった

 

その試合・・・今でも内容は覚えてるけど・・・

試合中盤・・・俺は、「袖釣り込み腰」を仕掛けた

相手選手も・・・当然、ラストチャンスを目論んで、必死に練習してきたんやろうから、簡単には投げられまいと踏ん張ったんやろうな?

それでも、強引に背中に乗せて、そのまま自らジャンプして前転(前回り宙返り)をし、相手選手を投げた

 

落ち方が悪かったんやろうか?・・・その選手は、頚椎を痛めてしまったようやった(その後、病院運ばれたけど、幸い大事には至らんで良かったんやけど・・・)

投げた後・・・相手選手がピクリとも動けへんのにも拘わらず・・・俺は、すぐさま「十字関節」を取って、「折れろっ!」とばかりに、力一杯、その選手の腕を決めた

 

「やめろっ!!」

柏崎先生はじめ、柔道部長、コーチの先生が駆け寄ってきて・・・完全にキレて、関節を決めてる俺の体を掴んで、その選手から引き離した

 

余談やけど・・・

総合格闘技の「故 山本KID」選手なんかが・・・試合中にレフリーが割って入っても、闘争心剥き出して、そのまま攻撃を止めへんようなシーンをテレビで観たことがあるけど・・・何となく、分からんでもないような気がする

もちろん、そんなことは許されることではあれへんし・・・柔道も総合格闘技も、ルールの中で戦ってることは百も承知やねんけど・・・

「キレてしもうてる」というか?「必死」になってる時の人間っちゅうのは・・・自分自身でさえ、己のことをコントロールできへんようになってまうもんなんやなぁ~?って・・・この時ばかりは、自分自身で実感した瞬間やった

 

それまでは・・・柔道の試合や練習では、もちろんのこと

中高生の頃に、街で見知らぬ人と喧嘩してしまうようなことになってしまった時なんかでも・・・

どっかで、「手加減」っちゅうんか?・・・「躊躇せんと全力でいってない」っちゅうんか?

どっかで、自分自身をコントロールできてたように思うねんけど・・・あの時ばかりは、制御が利かへんかったように記憶してる

もちろん・・・今となっては、「非常に申し訳ないことをしてしまった」って、深く深く反省してるねんで

 

 

結果的に・・・相手選手は、そのまま棄権となって・・・俺は、準決勝にコマを進めることになった

「千葉県学生体重別選手権」で、優勝した俺は・・・

第一道場の柏崎先生が「第一道場に上がって練習しろ!」って、いつ言うてくれるんやろう?やろうって・・・密かにに期待しとった

 

せやけど・・・

その言葉を掛けていただけることはなく・・・俺は、そのまま「第二道場」で練習を続け・・・ほんで、平成4年を迎えた

平成4年は・・・俺にとって、大学生活最後の年・・・そう、4年生になる年やった

 

 

3月に開催される「全日本体育系大学柔道体重別選手権」

その大会は・・・全日本学生体重別選手権で、前年度にベスト8以上の成績を残してる者は、出場できへん大会やねんけど・・・

その大会で、上位に入賞できたら・・・実力的には、「全日本学生体重別選手権」でも十分上位に食い込んでいけるであろう

云わば・・・学生たちにとっては、その年最初の「査定試合」でもある大会やった

 

また・・・そのあと、5月に開催される「全日本学生体重別選手権 関東予選」で、勝ち上がったら・・・10月に開催される「全日本学生体重別選手権大会」に出場できる

当然・・・全日本強化選手に入るためには、全日本学生体重別選手権で、上位に入賞せなアカン

 

俺は・・・

千葉県学生体重別選手権で、強豪選手に勝ったことで、気を良くしたんやろなぁ?

その大会の後くらいから・・・

「全日本体育系大学柔道選手権大会」(3月)

「全日本学生体重別選手権大会 関東予選」(5月)

この2つの大会に・・・「学内予選を勝ち上がり、何としてでも出場したい」・・・そんな気持ちが、心の中で芽生え始めとった

 

 

余談やけど・・・

俺の親父は・・・俺が大学時代、ぎょうさん手紙を送ってくれた

第二道場に落とされた時・・・「俺、大学の選択を間違ったんかなぁ~?」って愚痴った時には・・・

家の前は、相変わらず、小学生や幼稚園坊主が入り混じって通学してる

歳を取っていくのは当たり前のことやけど・・・決して、後ろを振り返ったらアカン

流れいく、川の水のように、今この一瞬は二度と戻ってけえへん

いくら、銭を積んでも・・・いくら、もがいても・・・人生は、後戻りなんかできへん!

そういう内容の手紙を送ってくれた

 

ほんで・・・送ってくれる手紙には・・・

「世界チャンピオンの卵 耕太郎へ」

「未来の世界チャンピオン 耕太郎へ」

・・・って、必ず綴ってくれとった

 

 

そんな親父に対しても・・・

「大学に進学させてもらった また、高い学費や生活費を出してもらったことへの恩返しをしたい!」

そない思い始めたのも・・・その頃やったと思う

 

せやけど・・・俺がおるのは、「第二道場」

どんだけ、愚痴っても・・・どんだけ、悲観的になっても・・・自分の置かれてる状況は、変わることがあれへん

 

たったひとつだけ、変えられることは・・・

誰よりも「辛抱と努力」をするっていう、限りなくしんどい環境の中に・・・自らの意志で、如何に己自身の身を沈めることができるんか?っていうことに尽きる

俺は・・・そない結論付けた

 

それから、俺は・・・

「後悔」や「愚痴」や「羨み」を、全部封印して・・・己自身が置かれてる環境・状況を真摯に受け止め・・・決して悲観することなく・・・ただただ目標に向かって、日々一生懸命精進した

 

全日本トップクラスの選手のビデオを、何べんも何べんも見て・・・

引き手、釣り手に始まり、足の位置、顔に位置、目線の高さまで、とにかく自分の技を研究して・・・

どんだけ息が上がっても・・・どんだけ苦しくても・・・どんだけしんどくても・・・時々、あまりのキツさに半泣きになったこともあったと思うけど・・・とにかく、一生懸命練習をした

 

 

その時に、俺が学んだのが・・・

「辛抱と努力をすること!」

「不平不満を云わぬこと!」

「与えられた環境の中で最大限の努力をすること!」

 

そう・・・我が子(悠葉先生やREN兄ぃ、SOやYAMATO)に対して、ちっちゃい頃から言い続けてきた「北岡家の家訓」

ほんで、また・・・道場生が練習前が合唱してる「北岡道場訓」にもなってる

当時、国際武道大学は・・・3年生の夏に、その学年の全員が「遠征」に出掛けるっていう、修学旅行?みたいなもんがあった

行先は・・・「韓国」をはじめとする、柔道強豪国が数国・・・「ハワイ」などの柔道よりも遊び?を満喫できる国が数国・・・・・やったかな?

 

当然・・・第一道場のレギュラー候補の連中は、自ら「韓国」を選んで、大韓柔道学校(韓国柔道大学)?で、キツイ練習をしてきたみたいやけど・・・

俺は、迷わず「ハワイ」を選んで・・・ワイキキビーチなどで、十二分に遊びを満喫して帰ってきた

 

 

柔道自体を諦めかけて・・・そんな、いい加減な時間を過ごしてた、ある日(俺が、「第二道場」に落とされて、2~3ヶ月?経った時(確か9月くらい)やったかな?)

 

「千葉県学生体重別選手権大会」の出場枠が、第二道場の選手に回ってきた

・・・・・っちゅうより、全日本につながれへん、千葉県内くらいのローカルな大会やからこそ、第二道場の選手に回ってきたっちゅう訳やねんけどな(^_^;)

 

俺は・・・-65kg級で、その大会に参加させていただけることになった

 

ただ・・・

多少なりとも、全日本学生柔道体重別選手権に出場することを目標として、大学に進学してきたのに・・・

俺自身、大会にエントリーしてくれた(出場できる)嬉しさなんか、これっぽっちもあれへんくて・・・

逆に・・・「マジかよっ!?」っていう、ダルさだけが俺の心の中を支配しとった

 

 

とりあえず、試合にするからには・・・練習に参加せざるを得えへん

モチベーションが上がれへんまま、練習に参加しては、淡々とした練習をこなしとった

 

そんなある日・・・

「千葉県学生体重別選手権」のトーナメント表が、貼り出された

 

順当に上がっていったら、準決勝で当たるやろう、順天堂大学のある選手の名前に、俺は釘付けになった

「〇〇選手」

ウチの大学の同級生、先輩達(国際試合などにも出場経験のある、レギュラーメンバーたち)でさえ、勝たれへんかった選手やった

 

俺は・・・

「マジかよっ!? 千葉県学生体重別って、こんな奴もエントリーしてくんのかよっ!?」

正直・・・ビビった

 

せやけど、それと同時に・・・

「待てよ?  こいつに勝って、優勝したら、第一道場に復帰のチャンスとちゃうんか?」

そないも考えた俺は・・・確かなモチベーションを感じながら、練習に取り組み始めた

 

 

「第二道場」っていう場所やと・・・周りの選手たちも、非常に強いという訳ではあれへん

せやから・・・俺の技でも利いてしまう

それが、功を奏したんか?・・・「俺は、強くなってる」っていう、錯覚に陥ってたんか?・・・

いずれにしても・・・自分自身は、モチベーションを持って練習をしてるし・・・練習してる技が、おもしろいように利きよるし・・・柔道が、おもしろく感じ始めたのは事実やった

 

 

そんな感じで、迎えた・・・「千葉県学生体重別選手権」当日・・・

俺は、順当に勝ち上がり・・・準決勝で、その選手にも危なげなく勝つことができた

もちろん、決勝戦も勝って・・・俺は、優勝することができた

 

「俺・・・強くなってる!」

そない、手応えを感じることのできる大会やった

 

 

また、同級生のレギュラーメンバーでさえ勝つことのできへんかった、その選手に・・・

危なげなく勝ったことで、俺は少しの自信と、さらに上を目指すモチベーションを取り戻しはじめた

 

せやけど・・・

俺を取り巻く「現実」は、そんなに甘いもんではあれへんかった

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

子供の頃からずっと・・・高校生、大学生になっても・・・どっかで、「やらされ感」があった柔道

ここに至るまで・・・(100%)自らの意志で、柔道に取り組んだことはあれへんかった

 

きっと・・・俺みたいな人間は、少なくないんかも知れへん

 

小中学生時代・・・欲求(友達と遊ぶことや恋愛など)を抑えられながら、柔道(や他のスポーツ、勉強)を「やらされてきた」者

高校時代・・・監督の目が気になるあまり、監督に怒られることに委縮するあまり、自分のやりたいこと(技など)をできんと・・・また、欲求を抑えられながら、柔道(や他のスポーツ、勉強)を「やらされてきた」者

 

大学生にもなったら・・・その欲求を、誰かに抑えられることがなくなるし・・・あらゆる誘惑に、身をゆだねてしまうことも少なくない

せやから・・・あからさまに、離脱(辞める、諦める、淡々と過ごす)していく者が出てきよるんやろう?

早い者は・・・高校生の頃に、離脱する者さえおる

 

俺も・・・その一人に、なりかけとった(いや、なっとった)

「第二道場」に落とされることなく、あのまま「第一道場」で練習を続けてたら・・・

きっと、「自らエンジンを掛ける」っていうことはなかったと思う

 

せやから、きっと・・・「第二道場」に落とされたことは、俺にとっての『必然』やったんやろな?

 

 

そんなことを、自ら経験してきて、親・教育者・指導者になった今・・・

子供たち(我が子や道場生)に、そのような道を歩かせる訳にはいかへんねん!

形はどうあれ、「やらされてる」ことの比重が大きかったら・・・いつか、頭打ち(離脱)してしまうやろうから

もちろん・・・小中学生の頃から、そのまま頑張り続ける者も、中にはおるんやろうけど・・・

せやけど・・・我が子4人共、また道場生全員が全員、そないなる確率は、限りなく「0(ゼロ)」に等しいと、俺は思ってる

 

それやったら、「今」は・・・

(柔道も他のスポーツも勉強も)「やらなければいけない」って感じさせるよりも・・・「やりたい!」「楽しい!」って感じさせてやることの方が、Betterなんとちゃうんかな?って思うんよ

 

ほんで・・・彼らそれぞれの「その時」がきた時には・・・

やり過ごすことなく、「自ら、エンジンを掛けれる人」になってもらえるように・・・「責任」っちゅもんを、心の中に点在させてやれるような教育ができたらええなぁ~って、常々考えてる

 

もちろん、その反面・・・

「今」強くなりたい者、「今」結果を求める者は・・・そのような考えを持ってる、俺の下なんかにおるべきではないやろうし・・・

自分に合った場所を、自ら(親御さんと)選択したらええと思う

それも、また、その人にとっての『必然』なんやろうし・・・

俺と出会ったことを大切に思って・・・この先、いっしょに時を過ごしていくことも『必然』なんやと思うよ

 

 

 

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